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tsubameのイロイロ

おもったこと、きづいたこと、イロイロ

距離感のイロイロ

一週間、重い課題だったので、今日は「スイカ」にしようと思っていたのですが、散歩していて「人との距離感」を書いておこう、と思いたってしまったので、今日は「距離感のイロイロ」を。スイカはまた今度書きます。

人との距離感、私は不器用です。物理的にも精神的にも。
好意のある相手とそうでない相手との距離感のとり方が極端なのが自分自身の課題です。好意のある相手との距離感が近すぎ。反対の場合は遠すぎ。これによってどんな不都合が生じるか。もちろん良い事も多々あるんですが、今回は悪い部分だけを簡単に抽出します。

・好意あり、距離感近すぎの場合。
 相手が引く。
 誰しもがパーソナルスペースを持っています。その空間(物理的にも精神的にも)に入ってしまい、相手を動揺させてしまいます。
 自分自身への課題は、近すぎるが故に自分が気になる相手の癖が見えてしまい、好意が薄れていく、ということ。これは相手の問題ではなく、自分自身が傷つきます。まぁ、そんな事の繰り返しなんですが。
 「パーソナルスペース」についてはいつも通りwikipedia先生の文章を引用しましょう。
(※読まなくてもいいですよ)

◎パーソナルスペース
パーソナルスペース(英: personal-space)とは、他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリア、個体距離、対人距離とも呼ばれる。一般に女性よりも男性の方がこの空間は広いとされているが、社会文化や民族、個人の性格やその相手によっても差がある。これはプロクセミックス(proxemics, 近接学)の分野である。
一般に、親密な相手ほどパーソナルスペースは狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、逆に敵視している相手に対しては広い。相手によっては(ストーカー等)距離に関わらず視認できるだけで不快に感じるケースもある

・好意なし、距離感遠すぎの場合。
 相手の良いところが遠すぎて見えない。だからいつまで経っても相手に近づこうとできず、敬遠してしまう。
 その人から学ぶべきこともたくさんあるはずなのに、その機会を逃してしまうのは、自分の人生の損ですねぇ。

距離感は人に限ったことではなく、何でも当てはまると思います。
走り幅跳びの助走がもし1,500mだったら、みんな最初の1,450mは歩くでしょうし、1,500mを○分で走り、かつ跳躍しなさい、というルールだったら「それ、2種競技じゃん」って思いますよねぇ。
太陽と地球の距離も、奇跡的な距離感だから生命が存在できているわけですし。太陽が「居心地悪いからもう少しずれておくか」なんて思おうものなら、地球の生物滅亡です。

距離感をうまく取ることは他人に限らず親子も同じだと思います。大事なことは「遠すぎず、近すぎず」。
支援しつつも見守る。何があったら支援するけど、何もない時にはただ見守るだけ。家族といえども一人一人が異なる人間。相手の課題には踏み込まず、自分の課題には踏み込ませない。アドラー心理学の基本です。