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tsubameのイロイロ

おもったこと、きづいたこと、イロイロ

仲間のイロイロ

仲間、というと皆さんは誰を思い浮かんだでしょうか。
学校の仲間、同じ趣味の仲間、飲み仲間、地域活動の仲間、仕事仲間。
私達はイロイロな共同体に属しています。それが意図したものであっても意図しないものであっても、共同体に属していることは間違いありません。一人で生きている、ということはありません。

「仲間」ってなんでしょうか。新明解国語辞典先生で調べて見ましょう。
【仲間】
1.一緒になにかをする(している)間柄。また、その人。〔狭義では、同僚を指す〕。
2.仲間の間柄。

では、「仲間」に近い「友達」を調べて見ましょう。
【友達】
一緒に何かをしたり遊んだりして、気持の通い合っている人。友人。

両者では「一緒に何かをする」ということは一致しています。しかし仲間と友達の大きな違いを私なりに考えると、仲間は「一緒に何かをする、のみの人」。友達は「気持が通い合っている人」。
気持ちが通い合っているかどうか。これは大きな違いなのだと思います。趣味や飲みについては「仲間」でも「友達」でも表現できます。それに対して学校や仕事、地域活動は付き合い始めは「仲間」であることは、辞典の通りの定義であれば間違いありません。その「仲間」から「友達」になるかどうか、については「気持ちが通い合うかどうか」によります。

「仲間」というと「気心のしれた者同士」という誤解が生じ、「俺たち、私達って、仲間でしょ?」という人がいます。特に仕事で。でも、定義からしたら「仲間」は単に「一緒に何かをしている」だけです。そこに「気心」などの感情は一切ありません。
だから、同じことをしていても、無理して「友達」になる必要はないと私は考えます。反対に「友達」のように近づいてきても、自分自身が相手を「友達」と思いたくない場合は「仲間」止まりでいいのだと思います。共同作業は行う。ただし、その時間・空間から離れたら、その人との関係は終了、でいいのだと思います。

「仲間」だから助けないと、助けるべき、と考えること自体は悪いことではないと思います。素敵な考え方だと思います。ただし、その前に自分自身が「仲間」を助けられる心身状態なのか、今一度考えてから行動したほうが、結果として自分の行動に納得がいくと思います。
先日書いた「返報性のイロイロ」で書いた通り、相手はお返しをしたくなる、かもしれません。ただし、お返しをしない、こともあります。
お返しがなかったときに「何でお返しなしなの?」と考えるのは間違いです。
助けるかどうかはあなた自身の課題。
それにお返しをするかどうかは相手の課題。

先日も同じことを書きましたが、与えられるものは惜しみなく与えましょう。そして受け取れるものは何も考えずに「ありがとう」と言って受け取りましょう。