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tsubameのイロイロ

おもったこと、きづいたこと、イロイロ

批判は批評とは異なる。

仕事においても人付き合いにしても、世に出回る様々な事象についても同じことが言えますが、批評において批判することはとても簡単です。
悪い点を見つけるのは難しくありません。完璧な事象、人間は存在しないのですから、何かしら欠点は存在します。それは批判される側も十分理解しています。理解していない人もいますが。
社会の問題、仕事の課題、人付き合い、その他諸々の事象を解決することは、学校の教科書の問題を解くこととは異なり、最初から解答がありません。それに状況、環境、時代などによって最適解も異なります。世の中のほとんどの問題は分からないことだらけ。それを解決しようとするのですから、失敗や間違いは幾度となく生じます。失敗や間違いを経験したことのない人はいないし、いないとしたらその人は「何も新しいことを挑戦していない」人です。

イチローだって4割は打てないです。10回中6回は失敗します。藤井聡太二冠(2020年11月現在)も8割5分程度、240戦200勝ですが、40敗します。100点を取れるのは学校のテストの時くらいです。社会に出たら100点を取るのは至難の業です。
だから世の中の先端を進んでいる人々、成功している人々はたくさん失敗して、ミスして、間違って。でもその理由を見逃さずに掘り下げる。「何で?」を繰り返して自分の能力を上げ続ける。良い中・高・大学に行って終わり、ではなく、そこがようやくスタート地点。よーいドンです。

何も挑戦しない人は良くない。ただしそれよりも良くない人は、挑戦して失敗した人を批判する人、さらにはその失敗の考察や対案を出さずに一方的に批判する人たちです。この後者に属する人たちは考えることを放棄していると私は考えます。失敗もしたくないし、批判も受けたくない。だから挑戦しないし挑戦する立場に立とうとしない。もはや課題を解決することに対して無意味な存在、もっと踏み込んで言うと邪魔な存在です。

昔から同じことは言えると思いますが、昨今の社会の雰囲気をテレビ等のメディアで見ると、何か残念な世の中になったなぁ、と強く感じるようになりました。
批判した方が人の興味を惹く。他人の不幸は蜜の味なわけです。物質的に進歩したはずの社会ですが、人間は古代から何も変わらない。いや、退化しているのでしょう。共同体という意識が薄い、けど誰かとつながっていたい。わがままの集団になってしまった社会がどこに向かって進んでいくのか。そんなことを考えながら生活してみると、社会を見る目も少し変わっていくのかなぁ、と思い、11月を締めます。