一貫性がない、という言葉を今噛みしめる。(とりあえずその1)
これまでのブログでも自分の気持ちを吐露していますが、39歳にして自分の人生にぼんやりとした悩みや疑問を持っています。
何が自分にとっての幸せなのか。自分が躁うつ病で5か月休職してからの復職はうまく進んでいるのか。躁うつ病は一生の付き合いだろうから治ることはないとしても、どのようにこの病とともに幸せに生きていけるのだろうか。
休職中は支援センターを活用し、支援センターのスタッフの皆さんの力を借りてたくさんの心理学及び心理学的手法を学んできました。それを復職してからの実践で活かすことが大事なのですが、理論と実践というものはなかなか合致しないことが多く、というか実践は事案ごとに異なり、理論をそのまま適用することは難しいです。実践の中で理論の基礎を応用して対応する必要があります。それにはもう少し時間が必要なのでしょう。
自分にとっての幸せって何だろう、何だったんだろう。これからの自分は何を拠り所にして生きていけばいいんだろう。復職してからは、そう思う日々が続きました。過去の休職ではそこまで考えていなかったし、今までの人生でもそんなこと考えなくても楽しく幸せに生きていて、将来についても近い将来の目標はあっても遠い目標はぼんやりと持っていたような持っていなかったような。多分持っていませんでした。
さて、これからの人生をどう生きるか。それが問題だ。
そんな今、大学生の時に先輩から指摘された言葉が引っかかりました。この言葉は何度か引っかかっている言葉です。
いつも通り麻雀を打っていて、1つ上の先輩であり、同じ学部・学科の先輩が後ろで私の手筋を見ていました。手牌と捨て牌を見て、その局が終わって一言。
「お前の打ち筋には一貫性がない」
一貫性がない。
手牌と捨て牌を見ると分かります。麻雀というゲームは基本的に役と呼ばれる形を作るゲームです。そして4人が順番に一つずつ牌という四角いものを取って、どのような役になるか考えていきます。最初に配牌と言って13個の牌を受け取り、そこからどのような役を作るか考えます。作りにくい役もあれば作りやすい役もある。配牌がバラバラで役を作りやすかったり配牌からほぼ仕上がっている場合もある。
配牌という初期に方向性が決まっている時は方針が立てやすい。でも牌を取ったときに次はどうするか、それを決めるのは自分自身です。
手牌と取った牌。それは今の自分の状況と次の行動。そう重ね合わせられると私は考えています。
大体話はご理解頂けたと思います。幸せや目標を気にしなかった時代は一貫性のある生活を送っていたのだと思います。配牌・手牌が簡単だった。結婚する、子どもが生まれる、育てる、仕事に就く、仕事を覚える、仕事に慣れて成果を挙げる。40歳を前にしてそこまでは一貫性があった。
問題はこれから。考え・状況と行動に一貫性がない。だから迷う。自分って何だったんだっけ?自分の幸せって何だったんだっけ?ふと迷いが生じたときに人生の一貫性が無いから迷いが生じ続け、もがき苦しみ続けている。私はそう考えるようになりました。
長くなりそうなので、今日のブログは締めます。
人生の一貫性って何だ?これが次の課題です。