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tsubameのイロイロ

おもったこと、きづいたこと、イロイロ

八百万の神々のイロイロ

私は神様が好きです。先日の家紋と同じく、神社が好きです。といってもわざわざ行くというほどでもなく、用事があって近くに行って、立ち寄る時間があれば神社に行く、という程度です。
神社にも家紋があるので、祀られている神様と同時にその家紋から系譜を知ることができることが楽しみの一つです。
どちらかというと宗教的には神道なんだろうな、と思いますが、前述のとおり「なんちゃって信者」なので、きちんとした信者の皆さんとは全く異なります。ただ楽しむだけ。結婚式も教会(ホテル併設)だったし、クリスマスもするし、お盆もするし。
日本人のよいところと思っていますが、何でも使えるものは取り込んでしまおう、というのは対象となるイベントや考え方の垣根が低くなって、浸透しやすくなると思います。
それが悪いところでもあるのですが。何でも経済(金儲け)と結びつけようとする癖。ま、いいか。経済が回ることは良いことです。

と、いうことで神様・神社好きなのですが、特別に神社に行かなくても神様の存在は「いてもいい」と思っています。「いる」「いない」「信じる」「信じない」といった二者択一ではなく、「あってもいいし、なくてもいい。でもあったほうが幸せになれるんじゃないか」くらいに考えています。
一神教でも多神教でも、そこは個人の課題ですのでこのブログでは踏み込みません。言いたいこともありますが、個人の宗教の考え方に他者が踏み込む必要はないと思いますので、誰が何を信じても、他者(家族を含む)の迷惑さえかけなければ何でもよいです。

私は日本の考え方である「八百万の神々」を推します。どこにでも神がいる、何にでも神が宿る。そんな考え方、私は好きです。その根底にある「モノ・コトを大事にする」精神が自分の考え方に合致するのかもしれません。八百万の神々を生活に取り入れると、何をするにも、何を使うにも大事にする気持ちが『ほんわか』と生まれてきます。「ありがとうございます。頂きます。大事に使わせていただきます」と思って過ごすと、自分も気持ちいいし、使われる道具類も気持ちいいように感じます。何にでも神が宿っている。

ただ、八百万の神々がいるからといって、何でもかんでも神頼みにするわけではありません。神はそこにいて、見守っているだけ。何か良いことを起こす「便利屋」とは考えていません。人の動き・態度に応じた結果を見守る。それだけ。それだけでいいんです。一人じゃない。神様だって、すぐそこで見てくれているじゃないか。そう思うだけで孤独から解放される気がします。
それに八百万の神々にも性格を持たせるとさらに楽しい。過去のブログで、何度も引用させてもらっている「雨のイロイロ」tsubame-chem8.hatenablog.jpにも書きました。そんな女神がいたっていいんじゃない?って思えば日常が楽しくなるかなぁ、って。

あと、私は技術者で、装置・設備の改善・開発・保全を行います。まだまだ未熟な身ですが、そこでよく考えることは「神は細部に宿る」。これは間違いない、と思って仕事をしています。みんなが見るところはどのメーカーも同じです。そうそう異なることはありません。だから基本的な動作は変わりありません。問題は「細部」です。この細部によって運用の簡便さ、故障の頻度、保全のし易さが変わってきます。「手抜き」もばれます。それは装置等の物質だけではありません。「プレゼンテーションのイロイロ」
tsubame-chem8.hatenablog.jpでも言えますが、グラフの軸の軸名を書いていない、大きさが不揃い、伝えたいことが散漫となってしまう、などなど。素材は良いはずなのに伝え方まで気が回っていない。神は降りてきます、細部に。その細部を見ている人が、必ずいます。私はそう信じています。

今回は「八百万の神々」と「細部の神」が連動しましたが、要は手元にあるものをどのように使用するか、アドラー心理学の言うところの「使用の心理学」ってやつですね。それを学問じゃなくて「神様」ってとらえた方がすんなり理解してもらえるかなぁ、と思いました。また2000字超えた…。今日は合計5000字近いですので、お読みいただいた方は本当にありがとうございます。そしてお疲れさまでした。4連休だった方は、このブログでよい暇つぶしができれば幸いと思っています。